meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

成果を出したからお金をあげるね、と、お金をあげるから成果を出してね

 例えば自分が経営者だったとして、社員に対してどちらの姿勢で臨むかを考えてみると、どうだろう。成果を出したからお金をあげる。お金をあげるから成果を出してね。順序が違うだけなのだけど、やっぱり、ニュアンスがちょっと違う。
 わたしだったら、どちらも選びたくはない、というのが本音である。でも、どちらか一方をと言われれば「成果を出したからお金をあげる」を選ぶだろう。できるだけ、お金と価値の結びつきをあやふやにしておきたいのだ。

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 企業が提供する価値と、その見返りとして得られるお金は、本来「弱い相関関係」にあると思っている。相関係数で言えば、0.4ぐらい。よさげ企業を買収して、高く売ったらどえらく稼げるけれど、それってあんまり誰かに価値を提供したとも言えないし、毎日頑張ってたくさんの子供の面倒を見ている保育士さんが安月給だったりもする。何人もの命を救ったお医者さんにいくら払えばいいのかなんて、誰もわからないだろう。
 その人の働きに対して、その労働は100万円です、なんていうのは、ある種のみなしでしかない。社会的に、とりあえずそれぐらいの価格にしておきましょう、ってのがやんわり決まっているようなもので、食堂のおっちゃんと事業部長の生存価値は、本質的には同じなのである。

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 だから、やんわり、ぼんやりがいいのだ。あんまりガッチリと、価値とお金を結びつけてしまうと、人は自分の価値を見定めてしまう。こんぐらいやったら、こんだけなのね。この計算がよくない。
 働きと給料を天秤にかけはじめちゃいけないのだ。その思考は、だいたいの場合、オレはこんなに働いてるのに、と言い始めてしまう。この言葉の行き着く先は、もらえる給料に見合った働きに調整しよう、である。給料側は自分で調整できないので、働きを調整する。故に、提供する価値も下がっていく。あとは給料と働きのデフレスパイラルである。

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 最初の質問に戻ろう。成果を出したからお金をあげるね。お金をあげるから成果を出してね。2つの違いは、結果か予定か、過去か未来か、にある。その人の未来に期待することはいいことだ、という人もいて、それはそれでひとつの考え方だと思う。
 でも、ぼくとしては、何かやってみてうまくいったし、おお、お金もついてきたのか、ぐらいのテンションの方がいいんじゃないかという意見なのだ。その人の行動の始点には、お金を目指そうとする目論見がない。全くないのもどうかと思うけど、まずはお金の匂いを漂わせない方が、しっかりとつくりだす価値に向き合えるんだと、思う。
 異論はあるだろう。貪欲さがいい、って話もあるからだ。お金儲けてやるぞ!って気合いがいい方向に働くこともあるからだ。世の中にはそういう企業もあってしかるべきである。たぶん、そういう企業の成果給は、すんごく高く設定されているのだろう。働きと給料の天秤をぶっ壊すもうひとつの方法は、めちゃんこ給料をあげてしまうことである。

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 論点をまぜこぜにしながら書いてしまって申し訳ないのだが、もうひとつ言いたい。たぶんだけど、給料もらい過ぎ状態、の維持ってすごく大事で。これがないと、労働がオーバーアチーブしない気がするのです。インフレしない。
 なんか、こういうスタンスの問題が、今の日本に潜んでいるような気がするのだけれど、どうだろうか。

 

m(_ _)m