meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

『飛びすぎる教室』清水義範・西原理恵子

 何を読んでいるんだか、ってな感じ。
 2月の初め頃だったか、高橋源一郎の講演があるってんで、美術館に行った。その内容はまぁ、置いておいて、やっぱり読書の話は出るわけである。自然、帰りに寄るのは本屋さん。いや、前から欲しい本があったから寄ったんだけどね。
 近くの本屋さんに入ってみたら、なんかプチリニューアルをしたのか、新刊ばっかりだったハズのところに古本コーナーができていて、当然のようにそこには「文庫本1冊100円」コーナーがあるわけである。おお、こんなところにお得な本が、となる。30分ぐらいはそこに滞在して、物色。気がつけば、6冊ぐらいの本をひと掴みしてレジに持っていっていた。
 その中のひとつが『飛びすぎる教室』だった。

●◯。。。...

 清水義範といえば『偽史日本史』だろうか。もう記憶の彼方の別世界に飛んでったうろ覚え記憶では、高校時代ぐらいに読んだような気がする。中身は全て忘れたけれど、おもろかったような気がしていて、なんとなーく気になるリストに入っている人である。
 そんな著者が清水ハカセとなって語る雑学エッセイ集。タイトルの元ネタになったケストナーの『飛ぶ教室』は決して飛んでないんだけど(ウーリが傘もって飛び降りた気はするけど)、こちらのハカセの話は際限なく飛んで、最後には宇宙の話になっている。
 さすが清水ハカセで、表紙に似合わず意外と(?)博識。なんの勉強になったのかはわからないけれど、勉強になった気だけはする。

●◯。。。...

 どんな分野にしたって、新しいことを知るのはいいことだ。インドには歴史がない、なんて話は今まで聞いたことがなかった。実際には「歴史が重視されていない」ということらしいのだけれど、そうか、そんな世界もあるんだよな、と気付かされる。イスラム文明には今の自分が神に忠実でありさえすればいいという考え方があるらしく、やっぱり歴史は重視されていない。らしい。
 だから、いわゆる世界史には濃淡がある。ぼくたちが慣れ親しんできた「歴史」には馴染まない地域があって、その地域では世界史も薄くなる。濃いのはヨーロッパと中国だ。なんとなく、納得。この構造が見えなかったから、ぼくは世界史が苦手だったのかもしれんな、とかつぶやいてみる(カタカナが覚えられんかっただけである)。

●◯。。。...

 なんだか、久しぶりに、当たり前とか当然とか前提をちょこっと崩してもらった感があって、少し嬉しい。こうやって、世界が広がっていくのが、楽しいのである。

 

m(_ _)m