転職5回。前半3つは小さな組織ばかりだったけど、後半3つは結構大きな組織に所属していて、今もそれなりに大きな場所にいる。渡り歩いてきた、みたいなパワフルな言い方はできないけれども、それなりに組織に潜り込んで、まわりを観察してきたと思う。
そんな参与観察によってちょっと気づいたことがある。大きなことはやんわり決まる。予算だとか、制度だとかを決めるときは、いつも「やんわり」である。誰が決めたかは、びみょうにあいまいになっていて、どういう根拠で決めたかも、ふわっとしている。なんとなーく、それなりの雰囲気ができて、結果、決まることは決まるけども、やんわり決まるのである。
日本の組織の特徴なのかもしれない。決めたことに対して誰が責任をとるのかなんて、誰にもわからないようになっているのだ。失敗の責任はそれとはなく全体に薄れ、成功の報酬もわりとみんなのものになる。そういうのは、よくも悪くも、島国ニッポンの生きる知恵なのだろうなぁ、なんて考える。
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こういう環境で過ごしていると、噂の怖さを思い知る。どこかしらから生まれてきた根も葉もない噂話が、意外と大きな津波を起こしてしまうことがある。空気感がつくられてしまって、事実ではない噂が、全体の認識になってしまえば、それはもはや事実と変わらない。
売上が好調でなくても、「売上が伸びていないのはコロナのせいであって、その分を差し引けば前年を超える売上になっている」なんて認識をつくってしまえば、ボーナスが減らなかったり、投資が止まらなかったりする。組織は数字だけで動くにあらず。広まる噂に左右され、マスメディアも含め、社内外に飛び交う情報にそそのかされて、意志は決定する。
こういうのが政治というのだな、ということが最近わかった。ちょこっとだけ、腑に落ちた。
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組織が大きくなればなるほど、あちらを立てればこちらが立たない状態になりやすくなる。部署ができて、派閥も生まれて、あっちに仕事が集中したり、こっちの報酬が高過ぎたりする。完全な公平なんてないのだから、それはある程度は仕方がないのかもしれないけれど、それでもなんでも、どうしたって綱引きが起こるのである。
そうしたときに、あっちを立てて、こっちを犠牲にするよ、という決定をするのは難しい。喧嘩せずに、なるべく平穏に済ませようとするならば、きちんと話し合うのではなく、じわじわと空気を醸成する方がいい。なんとなーく、あっちの部署にしわ寄せがいくのは、仕方がないことだよねぇ、ってな話があちらこちらでされる空気をつくっていく。その話が「既定路線」と呼ばれるようになったら成功である。
だから、タバコミュニケーションだとか、飲みニケーションが大事なのだ。ロジックは添え木でしかない。
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そんなことをしているから日本の組織はグローバルな何やらかんやらで勝負にならないのだ、という人もいるだろうし、事実、そういうことなのかもしれない。ただ、そういう政治もひとつの本質なのではないかな、なんて思えてもきている。
空気づくりなんて芸当は、ぼくには到底できないことなのだけれど、人間ってそういうもんなのだよなぁ、なんて考えながら眺めてみることは、それほど退屈なことではないのかもしれない。
m(_ _)m