新型コロナウイルスの感染が再拡大している。しかも、なんだか急だ。1日の新規感染者数があれよあれよと言う間に増えて、1万人を超える水準になってしまった。増えるにしたって、第4波を超えるとは思っていなかった。だいたい5000人ぐらいで推移するだろう、まぁ、東京オリンピックの期間は高い水準になるだろうけど、耐えるしかないんだろう、ぐらいに考えていた。
まさかこんな数になるとは思っていなかった、と、みんなが思っているんじゃないだろうか。今までの感覚からしても急過ぎるのである。これを予見するってのは、非常に難しい。
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こんな事態になるのだったら、東京オリンピックなんてやるんじゃなかったじゃないか的な意見の方々が、オリンピック前の感染予測を持ち出してきているようである。ぼくが見かけたのは6月時点だったかでの予測で、まぁ、当然のことながら、その予測に実際の数字を重ねるとどえらい差になってしまう。
その頃の予測では、オリンピックを開催したらこれぐらいで、中止したらこれぐらいの感染者数になるよ、という比較がなされていた。そりゃあ、もちろん、東京オリンピックの是非が議論されていた時期なのだから、そういう比較を含んだ予測になっている。オリンピック開催の方向に持っていくように、政府寄りの結果になるように、予測値が調整されていたってなことも、なくはないだろう。
ここに来て、この感染者数となって、ほらみろこんな予測つくって世論誘導しやがって、という論調で、予測に実数を重ねはじめた。確かにすんごい差が出ているから、そうやって批判したい気持ちもわからなくはない。ただ、個人的には、ちょっと悪趣味なことをするなぁ、と思う。
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素人ながら、売上の予測を出していたことがある。今月はだいたいこのぐらいの数字になる、ってな占い師を少しやっていた。その経験からすると、予測ってのはそんなに科学じゃない。ロジック的に正しい予測を持っていっても、メシの種にならないのである。
今回の状況に際して言えることは2つある。1つは、予測は意思決定を目指してなされるってこと。意思決定のサポートができない予測は棄却される。意味がない、とみなされる。なので、予測値を立てるときには、あっちやこっちの顔色を伺いながら、ときには数パターンを手持ちにつくってから出す。それだって、会議を通すうちに様々な意図が入り込んでパラメータがいじられてしまったりもする。要は、誰かの都合のいいように変えられる。
これは、まぁ、ある程度は仕方がないものだと思われる。確実で正しい予測は、もはや予測ではなく、どこかに曖昧な要素が紛れ込んでいるので、その曖昧さを右に寄せても、左に寄せても、ある意味で正しい。どっちに持っていくかは、予測に基づいて行われる意思決定の、敢えて言えば予め決められている意思決定の、その方向に収まるようになっていく。ただ、ロジックが間違っているわけじゃない。ロジックを折ってまで結果を捻じ曲げたら、それは流石にアウトとなるだろう。
2つ目は、誰も信じない予測は予測ではない、ってことだ。今回みたいに、まさかそんなこと起こらんだろう、という急拡大は、予測したとしても捨てられる。みんな(このみんなってのが難しい)が、そんなん嘘やろ、と思ってしまうと、その予測は間違っているとみられてしまう。予測者自身も、感覚的にこの予測は何かを見落としている、と考えるだろう。何となく納得のできる範囲に落ち着けるよう、調整する。
以前のデータが未来のデータを予測する重要な因子になるハズなので、やっぱり突然の倍増なんかは予測できないだろう。こういうのは、予測っていう営み自体に内包されている。予測は前例踏襲主義なので、イノベーションは起こらない前提だが、世の中はイノベーションで切り開かれていくという矛盾はあるのだ。
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だからって、予測が大きくハズレたことは否めない。否めないんだけど、ちょっと優しくしてほしいなぁ、って気持ちにもなる。ハズレ値が当たりでした、みたいなのは、予測者泣かせだ。そんなに科学じゃないから予測を信じるな、とも言えない(それだと意思決定の材料にならない)し、難しいバランスだなぁ、と思う。
中の計算もフクザツなら、周囲の環境もフクザツなのだ。そういう目で、やさしく見て欲しいんだけど、ま、そうもいかんのだよなぁ。。。
m(_ _)m