meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

人に会ってない。

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 人に会ってない。いや、そんなに人に会うような人間でもないのだけれど、最近ほんとに人に会ってないなぁ、と思う。仕事場と家との往復、ってのは紋切りな言い方だけれども、まぁ、それに類する状況になっている。ぼくが寄り道したくない人間だから、ってのもあるが。
 それにしても、人に会う機会が減ったなぁ、と思う。仕事で外に出る機会もなく、自分で活動するわけでもない。昔のようにのらくらとボランティアみたいなことをしてもない。特に、今年度に入ってからはマンネリズムに磨きがかかってきた。
 考えてみれば、昨年度は転職したばかりだったから、コロナのわりには人にはたくさん出会っていた。このぐったりマンネリ感は、その新しい環境に慣れてきたためでもある。いいことと言えば、その通り。気になるのは、凝り固まりである。

●◯。。。...

 人間、ずーっと同じ環境にいると固まってくる。思想、思考、価値観、視野、筋肉だって固まってくる。それはきっと、知らず知らずのうちに染み込んでくるもので、染まりきってしまうと出るのに苦労するものだ。
 筋肉をストレッチしたり、マッサージしたり、トレーニングするのと同じで、頭にもエクササイズが必要となるし、人格だって同じことだ。たまにはジャブを打って、揺らしておきたい。
 まぁ、それがなかなかできないのがコロナ禍ってもんだ。岐阜に来てからそれほど活動的でもなかったが、それにしたってたまには講演みたいなとこには顔を出していた。もうちょっと楽にならんもんだろうか。

●◯。。。...

 考えてみれば、みんな状況は同じなのかもしれない。そうだとしたら、こういう影響は地味に怖い。社会全体で出会いが少なくなっているとなれば、みんながみんな、ちょっとずつ固くなっているハズである。
 その、ちょっとずつの固さがどういう影響を及ぼすのか。そんなことまでは判然とはしないけども、ぼくたちはどこかで、おお、アタマ固くなっとるな、と自覚しておかないとならない。おもしろい人と話したとき、変な考え方に出会ったときに、ああ、そういうふうにも考えられるなぁ、と受け入れらなくなっているのは、とってももったいないのだ。
 人に会う機会が貴重になってきている。そのレアな機会を心から楽しむために、その素地を練っておく時期なのかもしれない。



m(_ _)m