meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

クレームは社会をよくするか。あるいは、利益世界の交渉力について。

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 怒られた。相手の不備に対応するための電話をかけたときに、相手にクレームをつけなかったことを怒られた、らしい。こちらが強く出なかったから、ということであろうか。わたしにはその意味がわからない。理不尽な怒られ方をして、しばらく何にもできなかった。
 今回の事例で最も大事なのは「不備を修正して、正しい状態にすること」であった。それが、なぜ起こったのか、とか、どっちが悪い、とか、手間をかけさせるな、とか、そんなことは置いておいてよい程度のものである。正直、その不備のフォローに言うほどの手間がかかるとも思えなかった。あ、間違えてたのね。しゃーない、もう一回手続きするしかないわな。ぐらいのもんである。
 わざわざクレームつけるものなのか。後から再度電話をして、わたしの代わりにクレームをつけている姿を見て、相手方の窓口さんが可哀想になる。そんなこと、窓口の人に言ったって仕方ないやん、ってな話をしている。なんだかすんごい小さな組織に所属してしまっているのかもしれない。

●◯。。。...

 クレームは社会をよくするのだろうか、と考えてみた。社会をよくするためには、問題点の指摘は必要かもしれない。でもそれは、クレームという形でなくてもよい。特に、荒々しく対立構造をつくることには違和感がある。意見は相手に届いてこそ、意味を持つものだろう。
 本当に問題解決に向かおうとするのであれば、相手と一緒になって問題をどう解決するかを考えようとしなければならないだろう。それでなくとも、少なくとも、問題は外在化させるべきである。相手のせいにしても、どうしようもない。
 さらに言えば、クレームは周囲の共感を呼ばない。気持ちよく怒ることができる人は、稀だ。だいたいが怒りに飲み込まれてヒステリックになり、周りの人はサーっとひいていく。
 自分が正しいからって、正しさをぶつけるべきではない。そんなふうに考えるのは、わたしだけではないだろう。

●◯。。。...

 しかし、無理が通れば道理が引っ込む。利己世界に生きる人たちは力こそが全てであり、我田引水ができれば成功である。もしかすると、そういった力押しを交渉力と言ってはいないだろうか。そんな気もしてきた。
 わたしが所属する組織は大変な利益主義である。利益が出れば何でもいい、という言葉が普通に出てくる。逆に、ボランティアは見下されている。よい交渉とは、相手から取れるだけ取ることで、こちらがWinであればWin-Winである必要はないとまで言われる。冗談交じりながら、本当に、そんな言葉が出てくるので、恐ろしい。
 当然のことながら、これらの姿勢は「客から搾り取る」と同義であって、何を提供するかという視点はない。そのことに気付いていないというより、気付こうとしないような雰囲気がある。文化は人の思考を強烈に方向づける。わたしがいる部署だけの雰囲気だと信じたい。
 これらの姿勢は視野狭窄だろう。ひとり勝ちをしたいのだろうけども、全員がひとり勝ちしようとすると、社会は崩れる。全体としての価値は生み出されにくい。さらに、会社がそのロジックをとるならば、社員もそれをそのまま採用する。労働は取引材料となり、そこにオーバーアチーブはない。ひとり勝ちしたい社員は、私腹を肥やすための活動を行うようになるだろう。

●◯。。。...

 わたし個人としては、交渉は負けるぐらいが丁度いい、と思っておきたい。クレームをつけられない弱さや、ちょっとぐらいは身を切って相手のために動く姿勢を持っているのだから、それは大切にしておくべきなのだ。
 損を重ねて、たまにイイコトが転がり込んでくる。そのぐらいでいいではないか。

 

m(_ _)m

 

 

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