6年が経った。今年は仕事のない土曜日だった。
東京に行きたい予定もあったのだけれど、次の日が朝から仕事ということで、残念ながら諦めた。気持ちよく晴れた、その暖かい日差しに誘われて車に乗り込み、裏庭に敷く砂利だとか、苗だとかを買いに出かけた。外の空気はまだ肌寒いけども、車の中は日で暖められて、少し暑いぐらいだった。
気分よくいくつかの店をまわり、気がつけばお昼を過ぎていた。コンビニの駐車場に入って14時46分を迎える。NHKラジオを聞きながら黙祷した。いつものFMに戻したら、福山オジサンが桜坂を歌っていた。歌うしかないのだなぁ、と思い、歌うしかないってのもいいなぁ、とも思った。色んなあれやこれやを全部ひっくるめて、そこに結晶させられるような人は、素晴らしくて、ズルい。
●◯。。。...
東日本大震災の発生から6年である。相も変わらず、普通に生きている。「これでいいのだ」と「これではいけないのではないか」の両方を抱えていて、これが正常だと思っている。6年前と比べると、わたしの生活はだいぶと変わった。少なくとも砂利を担いだことはなかった。(;・∀・)
何かと防災面が強調されるのが震災報道とか震災特集の宿命なのではあるけども、そこにとどめておくのは絶対にもったいくて、毎年毎年「あれはライフスタイルへの問いだったでしょう」というようなことを書いている。
東日本大震災が起こったときに感じた「何かしなきゃ」には、どこかに自分の今までに対する「うしろめたさ」があるようだった。異常なまでの正しさへの同調圧力。寄付しなきゃ、ボランティアしなきゃ、支援しなきゃ、助けなきゃ。一体となって力が集中していくその偏りに、わたしは不健康さを感じてしまった。その気持ちの裏側には、同じことをしなきゃという日本人的な焦りとともに、「これはわたしたちがやってしまったことだ」という罪の意識もあったのではないだろうか。
だから、多くの人が、このままではいけない、と思ったのではなかろうか。
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元に戻してはいけないとさえ、思ってしまう。ボディブローをくらったのだ。その衝撃は、奥底に響いていないといけない。あのときの「これではいけないのではないか」を懐に入れておかなくてはならない。特に、被災していないわたしたちは。
m(_ _)m
<1年目の記事>
<2年目の記事>
<3年目の記事>
<4年目の記事>
<5年目の記事>
<震災当時の記事いくつか>