meta.kimura

感情の率直と、思索の明澄と、語と文との簡潔とです。

3・11の日に。

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 3月11日になった。未曾有の大震災から7年が経ったことになる。今年も3月11日はよく晴れた。春霞というのだろうか。花粉なのか、埃なのか、わからない。遠くの景色がぼーっとぼやける、まったりとした日になった。
 隣の建て替え工事の音に起こされて、朝ごはんをつくり、洗濯物を干して、買い物に出る。クリーニング店と、本屋さんと、ドラッグストアをまわってから、オシャレなカフェでお昼ご飯。帰りにスーパーに寄って、今週の食材を買い込んだ。いつもの週末である。暖かい日差しが、ありがたかった。
 車のラジオからは、山下達郎のサンデーソングブックが流れていた。14時46分は、『希望という名の光』で迎えた。車を止めて、黙祷しながら聴いた。

●◯。。。...

 日常が壊れた。7年前によく耳にした言葉である。突然、まったくの突然、いつもの生活がぱったりと終わった。当時名古屋に住んでいたぼくにとっては、どう考えても対岸の火事であったのだけど、それでも、周りには「日常が壊れた」人たちがいたように思う。その中で、ぼくたちは日常でいいじゃないか、今の日々をいつも通り過ごしてもいいじゃないかと、言い続けていた。怒涛の流れに、なんとか抗おうとしていた。
 津波に見舞われた地域に向かって、津波のように人の気持ちが押し寄せているように感じていた。ぼくはその気持ちの中に、うしろめたさがあったのではないかと思っている。今、過ごしている日常への罪の意識が奥の方に潜んでいたような気がしている。
 日々の生活が、今日食べたチキン南蛮が、車のガソリンが、何に支えられているのかを、ぼくたちは知らないようで感じているのではないだろうか。とても安心で、安全で、安定な日々が、実は薄氷の上にあることを、知らないふりをして知っているのではないだろうかと思う。それは安定の下にある不安である。
 その不安がまた埋もれつつある。ぼくの中でも。当時の映像から、徐々にリアリティが剥ぎ取られていく。遠ざかるとはこういうことかもしれない。明日が来ないとは思わない。日常が途切れるなんて考えない。それもいいのだろう。神話の上にのっかっていれば、安心で、安全で、安定である。
 破壊された部分は、さらに強靭につくりなおされているはずであると考える。筋トレみたいなものだ。超回復を繰り返して、社会は強くなっていく。ぼくやぼくではない誰かが頑張ったりして、強くなっていく。それでいいのだろう。そう思う。

●◯。。。...

 『希望という名の光』に入る前に、政治屋に対する罵倒や怒声とかじゃなくてね、という話をされていた。大声が必要なときもあるけども、確かに、今日は静かな曲がいい。
 変えていくことよりも、変わっていくことの方が大切なのではないかと思った。たんたんと、今見えている、やるべきことに向かう。

 

m(_ _)m

 

<1年目の記事>

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<2年目の記事>

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<3年目の記事>

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<4年目の記事> 

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<5年目の記事>

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<6年目の記事>

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<震災当時の記事いくつか>

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下り坂では後ろ向きに――静かなスポーツのすすめ

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『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』と、申請ができない学生たち

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 春が近づいてきた。年度末である。少しずつあたたかくなるこの季節。昔は秋がいちばん好きだったのだが、ここ数年、一気に春の株が上がっている。寒さが緩む。日が差す。世界が明るくなる。とても気持ちがいい。

●◯。。。...

 さて。そんな季節に恒例となっている仕事がある。卒業証明書の事前申請だ。この春に大学を去っていく学生たちが、卒業証明書だとか成績証明書だとかの申請をする。ただ、まだ卒業したわけではないから、「事前」に申請するということである。これが毎年、結構な数になる。わりと面倒な処理が必要で、それなりの大仕事になってしまうものだ。
 初めて担当したのは3年前で、要領が掴めていなくてどえらくめんどい思いをした。なんせめちゃくちゃ「申請ミス」が多いのだ。そのフォローのために100枚以上封筒を手書きするという作業をしなくてはならなかった。これではマズい。こんなことで残業なんぞしたくない。手続きを見直し、申請の仕方がわかるようにして、次の年には手書きする封筒が10枚にも満たなくなった。よしよし。まずまずこれでいいなと、思っていた。

 ところが、である。今年も申請ミスが出る。ミスの件数、発生率については去年とほとんど変わりがないように感じるが、どうも、件数が少なくなった分、ミスの内容が目立って見えてしまうようである。どうしたらこんなミスができるのだろうか。そもそも申請する気があるのか、これは。ちゃんと書いてあるのになぁ。ちゃんと、読めよ。

●◯。。。...

 ここで『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』の話がポンッと頭に飛び出してきた。そうか。読んでないんじゃない。読めないのかもしれない。ただし、大学を卒業しようとする学生と、大学院を修了しようとする学生である。子どもたち、というにはだいぶと大人だろう、とも思ってしまう。
 肌感覚では、軽微なミスが1割程度発生する。書き直しが必要なミスは全体の0.5割弱になる。数は少ない。少ないけども、処理する側からすれば勘弁して欲しいと思えるインパクトになっている。いや、まじで勘弁して欲しい。ご不明な点があるなら、スタッフに聞いて欲しい(心の叫び)。
 そういった学生は、本当に読めないのかもしれない。読めないのであれば、これは由々しき事態である。ちょっと将来を心配する。確定申告でもないし、年末調整でもない。細かい字がいっぱいに並んでいるわけでもない。それでも、申請書の裏に書いてあることができないとしたら。背筋に寒気が走る。
 著者の指摘通り、社会が成り立たなくなるだろう。

●◯。。。...

 読めない人がいる。この事実を明らかにしたのがリーディングスキルテストである。リーディングスキルテストについては、以下に具体例と回答率があがっているので、興味のある人は見てみるといいと思う。

http://www.nii.ac.jp/userimg/press_20160726-2.pdf

 検索してみたら、教育のための科学研究所のホームページも出てきた。来年度からリーディングスキルテストの団体受検ができるようになるらしい。ちょっとみんなで集まって受けてみたい。

www.s4e.jp

 内容はというと、読解力というよりもむしろ、論理力のような気もするものだった。論理パズルほど考えるわけではないもの。答えが書いてあるので、あとは間違えなければ、ケアレスミスさえしなければ、間違えようのないもの。そんな印象である。
 この点、野矢茂樹さんが『論理トレーニング』から『国語ゼミ』に行き着いたルートと似ている。読みの多様さ、豊かさに触れる方向ではない。「商品を買ったら、お金を払う」ぐらいの社会的当然を、「りんごを1つ持っていて、新たに2つもらったら、持っているりんごは3つになる」ぐらいの論理的正確性を求めていくような方向なのだろう。言ってしまえば、常識、のようなものかもしれない。
 ぼくもそれぐらいの常識スキルは持っていて欲しいと思う人種だ。トンデモ発想、トッピな論理も好きだけれども、あまりにも話が合わなくて困ってしまうというのは辞めて欲しい。スタッフがみんな出払っていて、居残ったひとりが電話対応してるときに窓口からオイコラ言われても困る。対応できない状況であることは、見りゃーわかる。

 みんながリーディングスキルを身につけた社会は、たぶん、ぼくらにとって楽な社会なのではないかと思う。読むことは、相手のロジックをトレースすることでもあるからだ。道筋を追えることは、いわゆる相互理解にも役に立つ。多様な価値観、世界観が共存するための必須スキルとまで言っていいかもしれない。
 ただ、楽でいいのか、とも思う。話し合えないところをどうにかつなげる努力が、コミュニケーションではなかったか。通じる前提を持たないことこそを、大切にしていきたいのではなかったか。話し合えない人と、どうやって話そうか。そんな壁に立ち向かっていくところに、人間のクリエイティビティみたいなもんがあったような気がする。要はマゾっ気である。
 持つべきは、スキルではなくて、姿勢なのだろう。だから、わたしは今年も、くっそー、なんでこんな申請もできんのじゃー、と愚痴りながら、申請のプロセスを見直すのである。あちらの世界に足を踏み入れるための方策を考えるのである。それはたぶん、リーディングスキルテストからリーディングスキルトレーニングを生み出していくようなことと同じなのだ。

●◯。。。...

 ところで、ぼくはちゃんと読めてるんだろうか。読めるってなんだろう。

 

m(_ _)m

 

 

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